2007年11月24日
次郎長の交流関係
清水次郎長のまじめな話。実は知らないことばっかりでした。
博徒・次郎長の誕生
1820年(文政3年)、駿河国有渡郡清水湊(後の静岡県静岡市清水区)の船持ち船頭・三右衛門の三男に生まれ、母方の叔父で米穀商の甲田屋の主の次郎八の養子となった。幼少時代の仲間に「長」(正式の名称は不明)という子供がいたために周囲が長五郎を次郎八の家の長五郎、次郎長と呼び、長じてからも呼称されることになった。
1843年(天保14年)、甲田屋の主人となっていた次郎長は人を斬り清水を出奔、無宿渡世の門をくぐった。諸国を旅して修行を積み交際を広げ成長した次郎長は清水湊に一家を構えた。この時代の次郎長の事跡については明治の初期に養子であった天田五郎の『東海遊侠伝』に詳しい。
幕末における次郎長
1868年(慶応4年)3月、東征府判事の伏谷如水から街道警固役を任命され、この役を7月まで務めた。
同年8月、旧幕府海軍副総裁の榎本武揚が率いて品川沖から脱走した艦隊のうち、暴風雨により房州沖で破船し修理のため清水湊に停泊した咸臨丸が新政府海軍に発見され、見張りのため船に残っていた船員全員が交戦により死亡した際には、駿河湾に放置されていた遺体を小船を出して収容し向島の砂浜に埋葬した。当時、静岡藩大参事の任にあった旧幕臣の山岡鉄舟は これを深く感謝し、これが機縁となり次郎長は明治において山岡、榎本と交際を持ったとされる。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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